大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和55年(オ)275号 判決

上告人

大下象教

上告人

大下悦子

右両名訴訟代理人

坂本正寿

小松誠

被上告人

京都府

右代表者知事

林田悠紀夫

右指定代理人

牧野巖

外三名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人坂本正寿、同小松誠の上告理由について

原審が適法に確定した事実関係のもとにおいては、本件堆積土の存在自体に危険性はなく、本件事故は河川管理者である京都府知事において通常予測することのできない上告人らの子智史の異常な行動によつて発生したものであつて、同知事による本件河川の管理に瑕疵があつたものということはできないとした原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立つて原判決の不当をいうものにすぎず、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(中村治朗 団藤重光 藤崎萬里 本山亨 谷口正孝)

上告代理人坂本正寿、同小松誠の上告理由

第一、原判決は、被上告人の高野川の管理に瑕疵はなかつたものとして、被上告人の損害賠償責任を否定しているが、右判断は国家賠償法二条一項、同法三条の解釈適用を誤つたものであり、その違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。

一、まず、原判決が、被上告人が河川管理者であるかのように表現しているが(一二枚目裏二行目)、これは河川法一〇条、五九条の適用を誤つたもので、京都府知事というべきところを被上告人といい誤つたものと解して上告理由を述べる。原判決七枚目裏一〇行目には、高野川は京都府知事が管理し、被上告人がその管理費用の負担者であることが記載されているから、この点理由にくいちがいが生じることになろう。

二、上告人は、高野川の新大橋西詰北側に本件堆積土が放置されていたことをもつて、河川の維持又は管理の瑕疵にあたると主張するものである。

本件事故現場である新大橋は、周辺の学童の通学路にあたり、多数の児童が通行していたものであるが、本件堆積土は、右新大橋西詰北側に接着して、左岸に沿つて南北に約四メートル、川の中心に向つて東西に約三メートルの長さがあり、左岸に接している部分は堤防の上端よりも約六〇センチメートル低かつたが、子供でも容易に降りられる状態であつた。

堆積土は、乾燥して固まり、川の中心に向つた先端の水深は約1.5メートルあり、背が低くて泳げない児童が落ちれば溺死する危険があつた。

しかしながら、右堆積土は、子供達にとつては、川に接し、魚やカニや貝がみられる魅力ある遊び場となつており、興味をそそられた児童がしよつちゆう来て降り立つて遊んでいた。

右のとおり、本件堆積土は、子供らが容易に降りられる魅力ある遊び場となつていたが、児童にとつては危険な個所であり、これが長期間放置されていたことをもつて河川管理の瑕疵があつたというべきである。

三、しかも、本件堆積土は、京都府知事の統轄下にある京都府舞鶴土木工営所が、高野川浚渫工事の際に矢板囲いの中に堆積した土砂の残土であり、河川工事完了後直ちにあるいは少くとも矢板囲いの撤去と同時に撤去されているべきものであるが、これを搬出しないで放置しておいたのは京都府知事の過失であり、引いては河川管理の瑕疵と判断されるものである。

ところが、原判決は、本件堆積土が存在したことをもつて河川管理の瑕疵とは解せず、本事業に国家賠償法二条一項を適用しなかつたが、右は同法の解釈適用を誤つたものである。

第二、原判決は、本件転落事故は被上告人において通常予測することのできない智史の異常な行動に起因するものであるといわれるが、右判断は、経験則に違反し、引いては国家賠償法二条一項の解釈適用を誤つたもので、判決に影響を及ぼすことが明らかである。

一、原判決は、京都府知事が転落事故の防止のため高野川左岸の護岸に約三〇センチメートルのパラペット(余裕高)を積み上げ、また、新大橋西詰北側部分には防護柵を設置して人が高野川へ接近・転落するのを防止していたので、通行時における転落防止の目的からみれば安全性に欠けるところはなかつたといわれる。

確かに、本件堆積土が存在しない状態において、かつ大人の一般通常人が通行するに際しては、右パラペットや防護柵が転落防止の機能を果し、その限りにおいて、高野川は一応備えるべき安全性を有していたということができるかもしれないが、本件堆積土が放置され、興味のそそられる遊び場として六、七才前後の子供が繁々降り立つていた状況下においては、原判決の判断は妥当しないものである。

二、本件防護柵は、本件堆積土が存在しない状態を前提として設置されているところ、本件堆積土が存在しない状態では、堤防の上端から川の水面上までの高さが1.5メートルあり、さらにその上に防護柵の高さが約七〇センチメートルあつたのであるから、これを乗り越えて約2.5メートルも低いところにある水面上に降りるという行動は、京都府知事が通常予測することのできない異常な行動と評価できるかもしれない。

しかしながら、本件事故現場には本件堆積土が存在していたのであり、そういつた状況下においては、高さ三五センチメートルの鉄パイプをまたぎ、高さ三五センチメートルのコンクリート製腰を下りれば、パラペットの上端に立つことができ、そこから六〇センチメートル降りれば本件堆積土に至ることができたのであるから、物理的にも容易に本件堆積土に到達できる状態にあり、本件防護柵が川への接近を制止する機能を果すには不十分なものであつたと評価せざるをえない。

三、原判決は智史が本件防護柵を乗り越え、訴外大谷隆三方の畑に侵入して、本件堆積土まで降りていつたことをもつて、京都府知事の通常予測することのできない異常な行動であるといわれる。

しかしながら、右判断は、児童心理に理解を欠いたものであり、子供には冒険心、探険心があり、山や川に接し、動植物に興味を示して行動するのが、むしろ子供らしく正常であるという経験則に違反しているものである。

原判決は、子供に対する見方を誤つていると指摘せざるをえない。子供は大人のミニサイズではない、子供に遊びは欠くことのできないものであつて、その遊び自体が試行錯誤の過程であり、これを通して人格を形成していくのが子供である。右のような子供の心理を度外視し、魅力ある遊び場に至ろうとしたために、簡単な防護柵を越え、空地となつている他人の土地に侵入した智史の行動を大人の基準から通常予測することのできない異常なものと極め付け、もつて防護柵の設置のみで河川管理の瑕疵はなかつたと判示したのは、国家賠償法二条一項の解釈適用を誤つたもので、その違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。

四、原判決は、また、智史が近くに適当な遊び場があるのにそこへは行かず、本件堆積土に降りてきたことをもつて異常な行動の理由づけの一つにしているようである。しかし、本件堆積土における遊びは他の遊び場のものと趣を異にしており、それ故子供にとつて興味をそそられるものであつたのであり、その成長の段階に応じて未知の場や多様な遊びを求めていく子供の心理をとらえて異常と評価するのは経験則に反するものである。

確かに智史の家の隣には公園が設けられているが、幼稚園児以上になると、公園に対する興味と、その存続期間には限界がある。何才になつても、ブランコや滑り台の遊びしかしない子供は実際にいないのであり、いるとすればその子供の方が異常というべきであろう。

五、また、原判決は、高野川は汚濁が激しく水中を見透すことは全くできない状態で、異臭を放つていたと認定し、智史の異常な行動の裏付けとしようとしているが、右事実を認定できる証拠はない。よつて、高野川が汚濁し、異臭を放つていたというのは、適法に確定された事実ではない。

事実は、高野川の流水はいくらかは汚濁していたが、魚や貝が生息し、泳いでいる姿を見ることができ、異臭を放つているようなことはなかつたものである(甲二〇ないし二七号証)。

六、被上告人は、原審において、最高裁判所第三小法廷昭和五三年七月四日判決(昭和五三年(オ)第七六号)を引用しているが、右事件は、子供が防護柵の上段手摺に後ろ向きに腰かけて遊ぶうち誤つて転落したケースであり、単に防護柵を乗り越えて堆積土に降りて遊んだ本件とは事案を異にするものである。

七、原判決は、本件堆積土が存したために、物理的にも子供が水際まで行きやすくなつたこと、心理的にも子供に魅力ある遊び場を提供して興味をそそつたことを度外視し、本件防護柵の設置のみですべて事が足り、都府県知事の河川管理に瑕疵はなかつたものと判断しているが、これは本件防護柵を本件堆積土の存在と関連させて判断しなかつたために法律の解釈適用を誤つたものである。

前記最高裁判所第三小法廷昭和五三年七月四日判決は、「国家賠償法二条一項にいう営造物の設置又は管理に瑕疵があつたとみられるかどうかは、当該営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的個別的に判断すべきものである。」と判示しているところ、本件防護柵の設置を本件堆積土の存在と関連させて判断せず、本件堆積土が子供にとつて興味をそそられる遊び場となつていたため、子供が繁々降り立つていたという事実を看過した原判決は、右判例に違反しているというべきである。

第三、本件堆積土が存在することによつて、本件防護柵の存置のみをもつて川への接近を制止する機能としては不十分であり、新大橋西詰北側川岸部分は高野川が本来備えるべき安全性を欠くに至つていたことはすでに述べたとおりであるが、智史が、本件防護柵の鉄パイプを乗り越えてあるいは大谷所有地を通つて本件堆積土に降りたことは、危険への接近という意味でいささかなりとも過失を問われるところがあるかもしれない。しかし、右行動は、六才七カ月の子供にとつて決して予測することのできない異常なものではなく、被害者の過失として民法七二二条二項の適用が問題となりうるに過ぎない。原判決は、民法七二二条二項の解釈適用を誤つたもので、この点において判決に影響を及ぼすことが明らかな法律の違背がある。

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